心のオアシス PART 93「幸福」
心のオアシス PART 93 2025.4.10(木)
「幸 福」 綾羽町 B.N
桜の4月某日、ボーイスカウト 元リーダーから連絡があり OB OG が宴会を計画しているので参加するよう依頼された。
私は単なる食事会と思って気軽くOKして出席してみると私の思惑は大きく外れ、私の誕生日と兼ねて「囲む会」で 花束や記念品を頂いたり多くの喜びの言葉や感謝の言葉をいただいた。人生94年の誕生日の祝賀会を祝ってくれた男女合わせて14名の方々の熱い心に私の幸福感は 最高汐にたかまり思わず涙腺がゆるんでくる感がした。
幸 福
さて今日までの人生を振り返ってみると山あり谷あり、不満や満足等、心の葛藤を乗り越えて今日があり「幸福」であると自覚している。
では「幸福とは」と考えてみる。広辞苑によると「心が満ち足りている」こととなっているが人間は欲が深く「もっとお金があれば」「もっと地位があれば」「もっと健康であれば」と単純に考えると固定概念に縛られて自分自身で判断する自由を失い不幸になっている人が多い。 これが幸福であるというきまりはなく、むしろ決まりきったものがあると思っている人の方が不幸に陥っているのではないでしょうか。人間が幸福と感じるためには 二つの条件があると考えられる。一つは自分の人生にきちんと向き合って生きるということ、そしてもう一つは自分を超える存在とつながっているという感覚があること。現代は科学技術が進歩して、昔と比べられないほど快適で便利な生活ができるようになりました。しかしもっと大きく、もっと早くもっとたくさんと追いかけることが本当に幸福なのでしょうか。それよりも私はここまででいいと断念することで満足が得られることもあります。
例えばフランスへ行ってフランス料理の食べ方がわからなくて困るより、日本の温泉に行く方が楽しいという人は外国へ行くことを断念することで満足を得たり、地球温暖化を考えてエレベーターを使うより階段を使った方がいいのかも知れません。
断 念
自分は何を断念するのか或いはその目安をどう見つけるのかこれはなかなか難しいことです。科学技術が発展して色々なことができるようになった今だからこそ自分はどうするか考えることが大切です。断念することばかりでは進歩がありませんからトライしてみなくてはいけない。ただ一方で断念による幸福ということも一つのテーマとして 心がけるといいのではないかと思います。 我々はそんな中で「ここでやめておこう」ということがわからなくなっています。昔なら宗教が教えてくれたのですが、現代は自分でそれを見つけなければならないという難しい状況もあります。
物 語
ですから私は「自分の物語を見つける」ことが大切なのではないかと思います。
科学技術は物事を切り離して客観的に考えるのに対して物語は「物と繋がっている話」なのです。例えば自分の恋人を目の前で交通事故で亡くした人が 「なぜ死んだのでしょう」と言った時に科学技術で答えれば「出血多量です」とか「頭蓋骨損傷です」となりますがそんなことを聞きたいわけではないでしょう。私と恋人という繋がりの中で何が起こったのか関係全体の中で何が起こったのかということが物語になるんです。つまり自分と周りを関係づけるには「私の物語」がいるということです。 人間は一人ひとり違うのですからそれぞれが自分の物語を作っていかなければなりません。そしてはっきりしていることは全ての人間には「死」という限界があることです。死後のことは科学的には言えませんから物語しかありません。でも物語だからこそ「私は先祖になって祀られる」とか「あの世であの人に会うんだ」とか考えることができます。自分が主人公の物語を自分で作っていると思うと面白くなってきますね。「自分だけがこんなに不幸だ」と言っていた人も主人公なんです。その自覚がない人は自分で嘆くばかりでまるで物語の作者が他人のように話していますが、ほっと自分のことだと気づく時がある。すると「この不幸を背負って私は私の人生を生きます」と変わっていきます。
たましい
そしてそんな時に私という存在を一番基礎で支えてくれるもの……私は「たましい」と呼んでいますがそれはどうしたがっているんだろうと考える。
例えば「私は金があればあるほどいいと思えるけど私のたましいはどうもそう思っていない」とするとどうしたらいいのか、そんな風に考えるようになると他人からは不幸に見えてもその人はちゃんと幸せをつかんだ生き方をしています。たましいなどと言うと「見たことあるのか」と聞かれますが物語は割り切って考えないのがたましいの考え方だと思います。つまり心と体があってその両方を研究したからと言って人間の全てまでわかると思うなよということです。人間はそんな風に割り切れないのだから割り切れないことをたましいという言い方で考えるとわかりやすいのではないかと思います。自然とのつながりや亡くなった人とのつながりも「たましい」を使うとわかりやすいですね。ですからもっと全体を考えたり自分を超えた存在とのつながりを考えていく。そして「たましい」は何を欲しているのだろうという見方をした方が結果的に幸福になって行くのではないでしょうか。結局誰もが幸せになりたいと願っているのですがそれを全面に出して追求しだすと失敗してしまう。「せっかく生まれてきたこの世で自分の人生をどのような物語に仕上げていこうか」という行き方をする方が幸せになっていくのですね。 例えば 打率がトップの野球選手が「一球一球を必死になって打っていると数字は後からついてくる」と話すことがあります。 打率一位になろうとしてではなく 今この一球を大事にしようと思っているうちに気がついたら一番になっている自分を超えたものが背後にあってそれを自分の物語として生きている時にその人の幸せの姿というものができるのではないかと思います。
先程の宴会のほか今月は娘と孫との誕生会や息子からの誕生祝い品の予定が待っています。
幸福に感謝(こころの扉 河合隼雄 講話集 参照)