津門綾羽町地名の由来・津門地区・綾羽町概要等

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【津門綾羽町地名の由来・津門地区の近代】

 

  津門綾羽町地名の由来

 

 地元に伝えられた呉国からの織り姫(工女)渡来地伝承にちなんで名付けられていた旧字を中心に昭和13年(1938)に誕生した。

 

 もっとも、この伝承は津門だけのものではなく、池田市内にもほぼ同様の伝承を古くからもつ伊居太神社・ 呉服神社・染殿井・衣掛の松などがあるが双方共に本家争いせず共存している。

なにはともあれ、伝承によると、当時の技術先進国の呉国からはるばるとハイテク技術による縫織指導にやってきた女性たちが大和への玄関口の武庫湊に上陸した。

その地が津門綾羽町と津門呉羽町のあたりという。

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  津門地区の近代

 

 綾羽町は昭和10年(1935)に行われた西宮今津耕地整理事業地の一部であったが、昭和27年(1952)に市営住宅70戸が建設された頃から住宅地として発展を見せた。*1

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写真:建設から65年目の市営住宅、平成29年(2017)12月 解体が始まりました

 

 西宮市と今津町が合併(昭和8年)する以前に「今津町第3耕地整理組合概況」*2が昭和2年に組合設立 測量着手、昭和5年 工事完了 整理後は住宅とする目的で道路完備と河川溝渠排水及び区画整理でした。

 

 津門集会所の記念モニュメントとして設置されている、旧津門川の橋柱には昭和5年5月架設と彫られて時期が一致します。

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*1 「町名と祭りの話」山下忠男 著 P267参照

*2 「津門のあゆみ」津門コミュニティ委員会 P14参照

 

 

【津門地区(令和元年9月末現在)住民台帳 参考】

世帯数:7261世帯  人口数:14252人(65歳以上3296人 高齢比率23.1%)